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東京高等裁判所 昭和45年(行ケ)20号 判決

原告

(スイス国)

ザンドツ・アクチエンゲルシャフト

右代理人弁理士

玉置徐歩

被告

特許庁長官

井土武久

右指定代理人

斎藤昌己

外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を九〇日とする。

事実《省略》

理由

本件訂正審判請求の趣旨が、……特許請求の範囲を特定の染料の製造方法から、右特定の染料による特定の繊維および該繊維で作つた繊維製品を染色または捺染する方法に変更しようとするものであることが明らかである。そこで右訂正が特許請求の範囲の実質上の変更に相当するか否かについて判断する。

特許法第一二六条第一項、第二項は、特許権者が願書に添附した明細書または図面を訂正できる場合を制限しているが、原告の主張は、右法条の立法趣旨が、訂正前はその特許権の侵害とならなかつた行為が訂正の結果、特許権の設定登録の時に遡つて(特許法一二八条)、侵害とみなされることを避けようとするにあることを前提とするものと解される。右の前提に立つ限り、特許発明が特定の染料の製造方法の発明であるときは、その染料を使用する行為は全部右特許権の侵害になるから(特許法第二条第三項第三号、六八条)、右特許発明をその染料の特定の使用方法の発明に訂正しても、訂正前に右特許権の侵害とならなかつた行為が右訂正によつて新たに侵害とみなされるに至ることのないことは原告主張のとおりであり、したがつて右のような訂正を許さない実質的理由はないことになろう。

思うに、特許法第一二六条第一項、第二項が訂正のできる場合を制限している趣旨が訂正によつて第三者の利益を害することを避けるにあることは原告主張のとおりである。しかし、訂正によつて利益を害されるおそれのある第三者は、原告主張の行為をしている者だけではなく、訂正後の発明と同一発明につき特許を受け、または特許出願をしている第三者も訂正の結果その利益を害される可能性がある。もし、特許発明の技術的範囲を拡張または変更する訂正が行われると、訂正前はその特許発明と同一発明ではなかつた発明が、その特許権の出願の時に遡つて(特許法第一二八条)、これと同一発明とみなされる結果、後願として特許を拒絶され(特許法第三九条)、または特許を無効にされる(特許法第一二三条第一号)可能性が生ずる。特許法第一二六条第二項が特許請求の範囲の実質上の拡張または変更に当る訂正を禁じている趣旨は、第三者が右のような不利益を蒙る可能性を避けて先願主義を貫くことを明らかにするにあると解するのが相当である。したがつて、特許法第二条第三項第三号の適用があるため、特許権の侵害となる実施行為の範囲が訂正の結果拡張または変更されることがないというだけでは、その訂正が特許請求の範囲の実質上の拡張または変更に当らないということはできない。

そして、ある物の製造方法に関する発明とその物の使用方法に関する発明が異なる技術分野に属し、その技術的範囲を異にする別個の発明であることは言を俟たないところ、特許発明の技術的範囲は明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならないから(特許法第七〇条)、特許請求の範囲に物の製造方法の発明だけが記載されているときは、たとえ発明の詳細な説明にその物の使用方法が記載されていても、その特許発明の技術的範囲は特許請求の範囲に記載された物の製造方法に限られることは明らかである。これを本件についてみるに、本件特許の特許請求の範囲には特定の染料の製造方法だけが記載されていることは前叙のとおりであるから、発明の詳細な説明にその染料の使用方法が記載されていても、本件特許発明の技術的範囲はその染料の製造方法に限られ、したがつて特許請求の範囲の記載をその染料を使用する特定の繊維製品の染色または捺染法に訂正することは、本件特許発明の技術的範囲を変更するもの、すなわち特許請求の範囲を実質上変更するものであるといわねばならない。よつて、本件審決には原告主張の違法はない。

なお、昭和三五年特許願第五一五七六号の特許されるまでの経過が原告主張のとおりであることは当事者間に争いがないが、当事者間に争いのない訂正前の明細書の特許請求の範囲の記載によれば、その発明の技術的範囲は物である「染浴及び捺染のり」に関する発明であるというよりは、むしろ特定の染料を使用する合成および半合成繊維より成る製品を染色および捺染する方法に関する発明であつたと認めるべきであるから、特許請求の範囲の記載を右特定染料を使用することを特徴とする「ポリエステル系繊維を染色及び(又は)捺染する方法」に訂正することは、技術的範囲の減縮であつてこれを変更するものではないといわねばならない。したがつて、右事例は本件とは内容を異にし、本件審決の認定がこれと矛盾牴触するものでないことは明らかである。

よつて原告の請求を棄却し、……する。

(服部高顕 石沢健 瀧川叡一)

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